開催日:2024年9月29日(日)会 場:沖縄調理師専門学校
世界の美食家を魅了してきたフランス料理のスターシェフ 吉野建氏を招き、沖縄のテロワールとそれらが生み出す食材の魅力をひもときながら、沖縄の新たな美食体験創出の可能性を探る特別講座を開催しました。
【吉野建氏プロフィール】鹿児島県喜界島出身。1979年に渡仏し、当時ジョエル・ロブション氏が率いるパリ「ジャマン」をはじめ名だたるレストランで修行。フランス・日本両国のミシュランガイドで星を獲得。2007 年スイス・ダボス国際会議の料理長をフランス内政省からの要請で務め成功を収める。2010年フランス政府より「農事功労章シュヴァリエ」を贈られるなど、料理界において数々の功績を残す。
現在は軸足を日本に移し、和歌山「Hotel de Yoshino」、大阪「Maison Tateru Yoshino」、北海道「Tateru Yoshino」、福井「Tateru Yoshino 三國湊」をプロデュースし、さらなる進化を続けている。
一緒にお話いただくのは、同時期にフランスへ渡り、ジョエル・ロブションで修行をしていた沖縄県調理師会副会長 ラ・メゾン・クレール1853のシェフ小林光栄氏です。
【小林光栄氏プロフィール】18 歳で料理の道に入り、渡仏。
パリのジョエル・ロブション、ギー・サヴォワ、ヴェズレーのレスペランス等、ミシュラン三ツ星・二ツ星で修行を重ね帰国。県内外のホテルでシェフ・料理長を歴任。
2005 年八重洲会 / 日本最高料理家協会で金章受章。クラブプロスペールモンタニエ シュヴァリエ受章。2008 年、那覇市久米に「ラ・メゾン・クレール1853」を開業。
会場には料理人をはじめ、飲食・観光事業者などが集まり、用意した座席は満席に。みなさん熱心に耳を傾けていました。
サンセバスチャンはフランスの国境近くのスペイン・バスク地方に位置しています。
面積はおよそ60㎢、人口はわずか18万人。那覇市の面積が約39㎢、人口が 31万人ほどであることを考えると、人口密度的にも大変 小さな町であることが分かります。
しかし、特に目立つ観光資源のなかった その小さな都市が、いまや美味しいものを求めて世界中から人が集まる「世界一の美食の街」として知られるようになりました。
パリには、他地域から多くの料理人たちが訪れ、ヌーベルキュイジーヌを学び、自国に持ち帰ります。
サンセバスチャンが素晴らしいのは、パリで学んだ料理人たちが、学んだ知識や自身のレシピを積極的に公開し皆に共有していること。共有化されることで、料理人たちは独自の料理を作り上げようといっそう研鑽を重ね、研究熱心なシェフが育っていきました。
「サンセバスチャンの美食の街としての発展は、誰かが学びに行き、みんなで共有して研究することで、全体のレベルが上がった。そこから個性が際立っていき、長い年月をかけて現在のサンセバスチャンができあがったのではないか。(吉野シェフ)」
年間を通して料理の腕を発表する機会も多く、数々の料理コンクールが行われるほか、4年制の料理専門大学など学びの場も数多くあり、あらゆる側面から「食」について研究しています。
沖縄でも、2年前から小林シェフが実行委員長を務める『シェフ・オブ・ザ・イヤー・オキナワ(主催:沖縄県調理師協会)』という料理コンクールが開催されています。
「コンクールは料理人たちのアイデアと技術が結集するステージ。互いに刺激しあうことで技術向上の点でも即効性があり、業界全体も活性化して、商品開発のチャンスもどんどん生まれる。こうした取り組みを続けていく事で、吉野シェフのように高く評価される素晴らしい人材が生まれ、全体で学び合う機運が沖縄に生まれるはず。サンセバスチャンは沖縄にも参考になる街のひとつです。(小林シェフ)」
レストラン経営においては、そのお店独自の変わらぬ名品を生み出すとともに、日々研鑽を積み、メニューを進化させ開発していくことがとても大切なこと。
吉野シェフは、新しい料理を生み出すとき「昔の料理の文献を再度見直す」のだそう。
「伝統を超えるような新しい一皿は、トラディショナルをよく理解し、探究心と追求心があって生まれる。それらがないとセンスは磨かれない。伝統無くして革新はない。」と断言しました。
また、沖縄に琉球王国時代から伝わる医食同源の食文化について、「沖縄の長寿料理は、この先まだまだ進化出来る可能性がある。」との考えを示しました。
パリでは、美食、ガストロノミーが文化として根付いていますが、沖縄も少しずつ発展してきていると語ったのは小林シェフ。「沖縄にも美食の機運は何度か訪れました。一度目は1975年、海洋博覧会が行われた頃。県外の料理テクニックや知識を学ぼうという動きが20年ほど続きました。二度目は1980年代、ホテル開業ブームを受けて各ホテルが料理にも独自性を打ち出すことに力を入れ始めます。そして迎えた2000年の沖縄サミット。これを契機に、沖縄のテロワールに注目する動きが一気に加速しました。」
「つまり最初は、沖縄県外の料理や文化を取り込んでいく形で発展し、次は沖縄自身、自分たちの土地や食材、文化に目を向けていく動きになったわけです。コロナの影響でしばらく停滞はしましたが、ようやく進みはじめた今が、一番期待できる時期に来ていると思います。今日のように、若い人たちが吉野シェフのような世界的に活躍している人の話を積極的に聞き、勉強する機会を重ねていくことで、どんな料理が生まれ、どんな食文化が形づくられていくのか、とても楽しみですし、盛り上げていってもらえたら嬉しく思います。」
今回吉野シェフが来沖したもう一つの目的が、小林シェフが営むフランス料理店『ラ ・メゾン・クレール1853』でのガラディナー開催。二夜限定の、貴重な お二人のコラボレーションです。
その内容は、まさに今回の講演のテーマにもある「沖縄テロワールの実践」。
「メニューに沖縄の食材をいかに多く組み入れられるかを考えた。」と吉野シェフ。
小林シェフは「ガストロノミーは、ただ値段が高ければいいというものではない。今回のガラディナーは、私にとって沖縄のアイデンティティを掘り起こすような作業。この地で受け継がれてきた素材を、伝統的な料理法を用いながらいかに新しい食体験を作り出すか、という想いを込めて取り組んだ。グランシェフ、吉野建氏の変わらぬ名品と進化を柱にチャレンジしました。」と語りました。
「沖縄ガストロノミーのこれからは、若者の皆さんが主体。
今日の吉野さんのお話や今までの歴史的なものを学び、新しい沖縄の食、美食の島・沖縄の将来像を描き、作り上げていってもらいたい。」と語った小林シェフ。
「シェフ・オブ・ザイヤーオキナワをはじめとするコンクールなど発表の場を作り、若い料理人と学べる機会づくりをしながら、一歩ずつ着実に進めていけたらいいですね。」とも。
吉野シェフからは「よい料理人になるには、本人のやる気ありき、それが全て。努力するのも本人、勉強するのも本人なので、頑張ってほしい。」とエールをいただきました。
その土地で育った食材を使い、その土地の持つ自然や文化などの魅力を、美しい料理で表現する。料理人は、まさに代弁者であり、クリエイター。そしてよい料理人こそ、貪欲に学んでいる。
沖縄ガストロノミーは、これからを担う若い料理人にかかっている、と感じる講演でした。
みなさん憧れのスターシェフと列をなして記念撮影。和やかなムードで終了となりました。
「魂のひと皿~素材に命を吹きこむ」著者:吉野 建氏「はっきり言おう。フランス料理のベースと、おいしいソースをしっかり身につけていれば、世界のどこでも勝負できる。あとは、それぞれの魂を どう入れていくかだ。
現在の私は、パリ暮らしの疲れがとれ、日本のリズムにも慣れて、新しいことをする体力と気力が漲っている。そんな時期の料理をまとめたいと考えたのが、本書をつくるきっかけだった。素材に命を吹きこむべく、魂をこめたルセットも余すことなく記している。」(著書より)
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