【インタビュー】「食べることで文化財を保護する」今帰仁アグーの挑戦
農業生産法人 有限会社今帰仁アグー/代表 髙田勝氏
食の世界遺産「味の箱舟(ARK OF TASTE。通称“アルカ”) 」に認定された「シマウヮー(島豚)」の種の保存と生産に取り組む髙田氏。一般的な豚に比べ手間もコストもかかる在来種を飼育する意義とは。
進化生物学研究所の元研究員でもある髙田氏の「食べることによる文化財保護」を目指す取り組みとその理由についてお話を伺いました。
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※伝統的な在来種を「シマウヮー」、ブランド名称・商標名称を「アグー」としています。
沖縄の暮らしに欠かせない豚は、マジムンを食べる守り神だった
-沖縄は、食文化において豚との関わりが深い気がします。
髙田氏:沖縄の食文化を表す言葉として「鳴き声以外、すべて使う」という表現がありますが、実は鳴き声も使っていたんです。
沖縄では、昔「ウヮーフール」と呼ばれる豚の飼育小屋を兼ねたトイレが使われていました。石で囲われた豚舎で豚が飼われており、人が排泄をするとそれを豚が餌として食べるという仕組みです。
人間の生活において衛生というのは非常に重要なもので、衛生管理によっては健康を害することもあります。そういったことからトイレには魔物となるような根源、つまり「臭いや病害を伝染させる虫」というような「悪いもの」が湧いてくるという場所でした。
その悪い根源を、豚はぜんぶ食べてくれる存在だったわけです。
豚の鳴き声にはマジムン(魔物)の邪気を払う力があるとされ、沖縄では外出先でマジムンに出会ったり葬式の帰りや事故などで死体を見た場合には、フールで寝ている豚を起こして鳴かせ、その鳴き声で邪気を払ってから母家に入る、という習慣がありました。
臭いや疫病の根源など、「人間に悪さをするものを食べてしまう豚」というのが、沖縄では重要な存在だったのです。
儀礼行事に欠かせない豚と、医食同源に通じる沖縄の知恵
髙田氏:もう一つ、沖縄での豚の使われ方の特徴として、「季節的な儀礼行事で使われることが多い」ということがあげられます。
昔は今日のようにコンビニやレストラン、総菜屋といったお店があるわけではありません。
食事は家庭で取ることがほとんどで、一般的には数軒で一頭の豚を飼い、庭先に鶏を放し、日常は芋を食べるいう生活をしていました。
そういった質素な暮らしの中において儀礼行事というのは特別なことで、豚はその特別な日のご馳走として振舞われることが多かったのです。
豚は大体、季節の変わり目の儀礼行事に贄(にえ)として祖霊神のような精霊に供え、その後人間がいただくというふうに食されてきました。
季節の変わり目は寒暖の差が激しく、身体が消耗して病気になりやすい時期です。
そういう時に豚の脂、つまりカロリーの高いエネルギーをそのままいただき、肉を食べて精を付けるという薬のような食べ方が、沖縄での豚肉の食べられ方だったのです。
また、人間にはもう1つ、病気になりやすい時があります。
それは過剰労働をした時なんですね。集中的に一生懸命同じようなことをしなければならない時、イレギュラー的に体力を消耗した時にも、やはり肉を食べます。
ただこの時は、豚ではなく、ヤギなんです。
キビ倒し(サトウキビの収穫のこと。親戚などで助け合って行う習慣がある)の慰労会であったり、家を建てる際の棟上式であったり、一生懸命勉強をして精も根も尽き果てるぐらい頑張った合格祝いの時などには、ヤギを食べます。
日頃の生活の中から食べ物の成分や効用を自然と理解していて、そのときの身体の状態で食べるものを選び使いわける、というのが沖縄の食生活、食文化の根源になっていると思います。
沖縄の暮らしの中心にある「儀礼行事」を続けることで見えてくるものがある
髙田氏:沖縄では生活サイクルの中心に「儀礼行事」が存在していて、僕はそれはすごく大切なものだと考えているんですよ。もしそれが無くなったら沖縄が沖縄ではなくなる、というくらい絶対的に重要だと思っているんです。
沖縄本島を中心にした代表的な行事に、中国から渡ってきたと伝えられるシーミー(清明祭。旧暦の3月上旬に行われる先祖供養の祭り。門中墓の前に一族が集まり、重箱料理や酒、お花やお菓子をお供えし、その後、みんなでお供えしたご馳走をいただく)がありますが、伊是名島の王家の墓前、伊是名玉陵(いぜなたまうどぅん)で行われる特別な清明祭(※)にお供えする豚の頭など、今は僕が持って行っています。
これは「生物資源を守る」という普段の活動の一環で、やはり古来から続く文化の礎は守りたいし、その行為が伝統的な家畜を残してきたと考えているので、沖縄の根源に関することには、できる範囲で関わっていきたいと思っています。
髙田氏:こうした儀礼の中では、どういうものが使われているかというのが重要で、玉陵では天のもの、地のもの、海のものを供えると言われています。
羽ばたく翼を持つ鶏と、蹄(ひづめ)を持ち地を駆ける豚、鱗を持って海を泳ぐ魚を贄として先祖のお墓の前に供えて「自分たちの一族を見守ってください」と御願を行うんです。
この3つのお供えものを沖縄では御三味(うさんみ)といい、由来は中国の三牲(さんせい。三種類の贄。ここでは鶏、豚、魚)に因るものなのですが、王様のお墓の場合は五牲(ごせい。五種類の贄)なんですね。
基本的に沖縄では、自分が生活をしていて恩恵を受けている場所の代表的なものを祖霊神に供えるという考え方があるようですが、五牲に関して他は何を備えるかというと、アヒルと二枚貝なんです。
アヒルは鶏とは違い沼池、二枚貝は海ではなく浜や干潟の象徴として供えられます。
こういう儀礼行事にお供えされるものを見て、「こういう時、こういう場所で家畜が使われていたんだな」と沖縄の日常生活に浸透していたことを少しずつ理解しながら、継続していけたらと思っています。
(※)伊是村主催で行われる『公事清明祭』。琉球王国・尚円王の父母や近代の王族が眠る伊是名玉陵で行われる伝統行事で、「これを行わなければ一般家庭の清明祭は行えない」とされる重要な儀式。
白い豚を受け入れた、ウチナーンチュの変化変容に対する高い能力
-先の大戦で焼け野原となったことで、沖縄にいたシマウヮーがいなくなり、アメリカから白豚が入ってきたと聞いています。
髙田氏:いわゆるアメリカ世(あめりかゆー。沖縄では世替わりと呼ばれ、 中国に朝貢した唐の世〈とうのゆー〉から日本に組み込まれた大和世〈やまとゆー〉へ、沖縄戦の戦世〈いくさゆー〉から米軍統治下のアメリカ世へ、というふうに時代の変換を表す)になって改良品種の豚(白い豚)が入ってきた、ということに間違いはないのですが、決定的に違うのは、資本主義という考え方が強く入り込んだこと、経済効率や生産効率を追求するようになったことだと僕は考えています。
実は戦後、伊平屋島の豚が今帰仁村に入り込んでいたんですよ。
だから今帰仁村では黒いシマウヮーのことを、「イヒャーウヮー」(伊平屋の豚)と呼んでいました。
ところが伊平屋島の人たちはイヒャーウヮーとは言わずに「カニウヮー」と呼んでいた。
「ウヮー」は豚のことで、「カニ」は金、鉄などの金属です。
固くて小さいままの豚、つまり、成長が異常に悪い豚をそう呼んでいたわけです。
いつまでたっても大きくならないものに対して、効率主義の考えで言えば、もっとたくさん産み、もっと儲けが良い改良品種に転換していくのは当然のこと。
そういうふうに転換していったことは事実です。でも、改良品種への転換の理由が「戦争があったから」ということだけではない、と僕は考えています。
沖縄は、昔からかなり厳しい環境の中で生活を続けていかなければいけない。そういう島なんですね。
台風があり、海に出られなくなり、同時に畑もやられてしまうと、食べ物がなくなりやすい。
だから沖縄の人は備蓄をするわけです。乾物や、乾麺や塩漬け。それが現代になると缶詰になり、大量に箱買いをする、というふうに変わってきました。
沖縄の人は、本質は外さずに、その時代その時代に合わせて、物事を変えていく能力や対応力、適応力が高いんです。環境が厳しかったからでしょうね。
変化変容に対してスイッチを入れ替えるのが、ものすごくうまい。
儀礼行事を重んじる生活の中で、一般的に豚を食べていたのに豚がいなくなってしまったら気持ちを入れ替えて理に適うようにスイッチしてしまう。
そういう沖縄の人の能力が素地にあって、そこに白豚が入り込んできた、という風に考えた方がいいと思います。
ですから、もし不幸な戦争が無ければ、一挙にシマウヮーから改良品種に変わることなく贄としてのシマウヮーを残しながら、改良品種を時代に合わせて導入して行ったのではないかと思います。
また、信仰的にも、基本的に沖縄では白い豚を避けてきました。
中ヨークシャー(白い豚)が日本の農務省を通じて日本へ入ってきた時、沖縄県民は、暑さや病気に弱いだろうという理由で、白い豚を受け入れなかったといいます。
「バークシャー(黒い豚)は入れたが、中ヨークシャーは入れなかった」と資料に書かれています。それはまだ沖縄の豚がシマウヮーだらけだった頃の話です。
贄としての家畜の色に関する白の忌避は、方位の四神に関係していると思われます。西は、太陽が没する日没の方位で、四神は白虎になります。
つまり、白は「喪の色」「死んで居なくなる事」を意味し、葬儀や墓に供える花の色や死に装束などにみられます。
もともと、贄である供物の家畜は「死を表す色」を忌避していたと考えられるのです。
沖縄のシマウヮーの特徴と、白い豚の違いとは?
髙田氏:まず、シマウヮーは伝統行事で使ってたということが大前提にあります。
その上で決定的な違いは、改良品種は経済形質の効率を追求してるところです。
沖縄在来豚を「シマウヮー(島豚)」と呼びますが、儀礼行事に使う豚は、通常と違う突然変異のようなものは避けられてきました。だから伝統的なものが残ったのです。
シマウヮーの背骨はイノシシと同じ19本のまま、野生種からそのままの本数です。
それに対し改良品種は効率を追求し胴伸び競争などもあり、多いのは23〜24本まであります。
4、5本背骨が多く胴が長ければ、当然背筋であるロースが長く取れますし、三枚肉も多く取れます。
乳頭数も増えるから赤ちゃんもたくさん育てられるし、とてもじゃないですが生産性でいくとシマウヮーは勝てないわけです。
このように基本的な違いがシマウヮーと改良品種にはあります。
また、ラードタイプ(脂肪蓄積を重視して改良された豚。ラード〈脂〉に高い価値が与えられていた時代に普及した。植物油が普及している現代では、より赤肉の多いタイプに嗜好が変化している)という豚が改良品種にもありますが、沖縄でもランプの燃料など、実にさまざまな用途として豚の油脂を使っていました。
現代でこそ脂は敬遠されていますが、脂ってエネルギーなんですよ。
昔はエネルギーが枯渇するギリギリのところで生活をしているので、脂はとても重要だったのです。
それを踏まえてですね。改良品種の豚というのは大体7ヶ月くらいで大人になります。性成熟するわけですね。
そうすると8ヶ月ぐらいで交配をさせ、赤ちゃんを産ませるということになります。
つまり、成長期が7ヶ月もあるということです。これだけの期間に高タンパク、高エネルギーの濃厚飼料や、ミネラルとビタミンを与えればどんどん大きくなっていきます。
ところがシマウヮーは3ヶ月で大人になってしまうんです。サイズ的には子どもが子どもを産むような感覚。性成熟が早いということは、小さいうちから成長が緩やかになり、その代わり脂がつきやすくなるという特徴を持ちます。
改良品種は7ヶ月で大人、シマウヮーは3ヶ月で大人。この生理的な特徴からも両者まるっきり違うということですね。
効率的な改良品種ではなく、シマウヮー「今帰仁アグー」を育てる理由
髙田氏:基本的に、改良品種を育てる養豚場はたくさんあるわけですよ。
分娩が楽で、比較的、濃厚飼料が日本でも手に入りやすいという経済的な環境もあってどんどん浸透していきました。
かつての小さい農家養豚とか「母ちゃん養豚」と言われた数十頭〜数百頭規模のものは全て消え去って、年間数万頭出荷するという養豚場が普通に出てきたんですね。
ところが、このシマウヮーという豚はその仕組みに合わないんです。
それなのになぜ選んだのかというと、「今帰仁アグーが沖縄の生活と共に歩んできた豚である」ということの価値が、自分の中に存在していたということが一つの理由です。
そしてもう一つが、資源の問題。
シマウヮーには病気や暑さに強いなどのメリットがありますが、いちばん大きいのは「外国の穀物に依存する」という畜産体系に左右されない可能性があることです。
今、もし有事が起こり、物流が止まった場合、沖縄だけでなく日本国内の畜産が大変な打撃を受けるだろうと言われています。
それを踏まえてシマウヮーをみると、この豚は元々過酷なところで育っているんです。
うちで育てている豚には、八重山の系統が2系統入っているのですが、その豚を最初に本島に連れて来る時、ものすごく痩せ細っていたんです。
まっすぐに歩けないぐらい痩せていて、早く連れていかないと死んじゃうよ、というぐらい痩せていたんです。
ところが連れてきてすぐに子どもを産んだんですよ。あんなに痩せているのにきちんと妊娠をして、子どもを産むというのは改良品種では考えにくい事だったんです。
また、日本にはまだ入ってきていない、アフリカ豚熱というものがあるのですが、中国のマスコミの報道で、白豚が累々と死んでいる中に、ポツンと黒い小さな在来種のような豚が立ちすくんでいる写真があったんです。
在来豚がアフリカ豚熱に抵抗力や免疫力があるのかどうかは分からないのですが、どちらにしても重要なのは、多様性なんですよ。
生存戦略からすると、色々な個性やタイプがいる方が、種として生き残ることが可能になってくるんですね。
同じようなものを大量生産すると一つの原因でやられてしまいます。
これは栽培作物の例ですが、ヨーロッパで起きたジャガイモ危機みたいなものですよね。同じ遺伝子を持つ個体からクローンとして芽で殖やしたジャガイモが胴枯病(どうがれびょう)のような病気の大発生で収穫できなかった可能性を考えれば、栽培植物においても家畜動物においても、多様性は絶対に必要だと思って育てています。
-こちらの黒豚の赤ちゃんの中にも、白豚が1、2頭混ざってるのが不思議です。
髙田氏:品種は、統一性を持って作っていくのが基本です。ところが在来家畜の場合においては、その辺りをうろついているから、色々な遺伝形質が入り込んでいます。
中国雲南省やラオス、タイの山岳少数民族のところでは黒い豚が基本ですが、その中に「白に黒斑」もしくは「黒に白斑」の豚が出てきます。
実はそれと同じケースが沖縄にもあって、「沖縄にも、白黒斑の豚がいて、それはアヨーと呼んだ」と、渡嘉敷綏宝(とかしきすいほう。琉球大学名誉教授)先生が書いておられます。
アヨーは「綾(いろいろな形・色彩。模様)」の意味で、沖縄は黒い豚が多いが、中には白黒斑のものがいる、と書かれています。
ですから、沖縄のシマウヮーは、東南アジアなどにいる在来の豚に非常に近いと僕は感じています。
沖縄の環境に順応した、シマウヮーの不思議な魅力
-産まれる頭数に対してメスとオスの割合はどれくらいなのでしょうか。
髙田氏:ほぼ1対1です。これはあまり変わらないです。頭数が少ないと「今年はオスが多いね」「メスが多いね」といった話になりますが、絶対数が多くなるとやはり1対1に近いです。
-子豚の中に特に小さな子が何頭か混ざってお母さんと一緒にいるケースがありますね。
髙田氏:これも在来種の特徴なのですが、母豚の育て方も改良品種とはかなり異なります。
改良品種の場合は産まれて3日ぐらい経つと、おっぱいを飲む時に子豚たちの中で乳首の占有権ができます。
たくさんおっぱいが出るところを自分のものにしたい。そこで、力が強い子豚がそれを占有します。
ところがこのシマウヮーに関してはあまり占有権を露わにすることがないんです。
どうしてだろうと観察してみると、改良品種は、産んだ直後は母豚が寝た状態でしか授乳ができませんが、シマウヮーは、お腹が下に垂れているので、子豚は産まれてすぐにおっぱいを立ち飲みすることができるんです。
つまり、いつでもどこでも、立ったままでも授乳ができるんです。
好きな時におっぱいを飲めるという環境からか、シマウヮーは、あまり乳首を奪い合うことがないと感じています。
さらにもう一つ、決定的に違うのは、改良品種は他人の子豚を里子として受け入れてくれにくいんですよ。
そのため里子に出す時は、受け入れる母豚の鼻に強い香りの軟膏を塗って嗅覚を鈍らせたり、里親となる母豚の糞便を迎え入れる子豚たちにこすりつけて匂いを馴染ませるなど、色々な方法を使います。
ところがこのシマウヮーに関しては誰の子豚でも里親として拒否をしません。
母豚が違っていても子豚はおっぱいを吸う事に問題が生じません。
ですからここでは他の母豚から産まれた小さい子豚が混ざっている事があります。
実際に、他の母豚の子豚を入れても、里親となる母豚は全く拒否をしません。元々持った性質だと思いますが、それが彼らの生き残る手段、彼らの種の生存の方法なのかもしれないと考えています。
-オスとメスが産まれた後は、どのように生産されていくのでしょうか。
髙田氏:オスは、去勢をする関係上、早めにどのオスを残すか、チェックを行います。
群れの中で、成長の良いサイズの大きいものや、外見として血が混ざってないもので黒い豚を親豚として選んでいきます。
白いアヨーのようなものを残すことはあまりありません。
また、中国豚からの影響後の事だと思いますが、「耳が大きく顔を半分覆っている」と記載されている文献があることから、僕は比較的耳が大きい豚を親豚として選んでいます。
メスの場合も、8頭以上産んでくれそうな、成長の良い豚を選びます。
もう1つ基準としているのが乳頭数。お母さん、お父さん、赤ちゃんでもすべて、乳頭がはっきりとわかり、7対以上のものを選んで残してきました。それ以外は食肉になります。
-よく見ると、今帰仁アグーの尻尾はまっすぐですね。
髙田氏:豚は尻尾がクルクルと巻いているイメージがありますよね。でもシマウヮーは巻きません。
イノシシみたいにブンブン尻尾を振っています。これが東洋系の特徴の一つです。
そして腿(モモ)が薄く改良品種のようにお尻が大きくないのがこの豚の特徴でもあります。
胴が短くて、お尻が小さくて、顔は大きい。だから肉はあまり取れないんですね。
でもそれが、必ずしも悪かったわけではない。昔は今のように沖縄に穀物があったわけではないので、あまりたくさん子豚が産まれても餌がないんです。
子豚をどんどん産んだり、体が非常に大きいということは、それだけ餌が必要になるということですから。
この形状、体質は、沖縄の自然や生活に順じて残った特徴ともいえます。
小さいけれど、どこかおおらかで、たくましい。
沖縄の暮らしに寄り添い、脈々と受け継がれてきた、在来豚・シマウヮー。髙田氏の話を伺い、人々の食の未来を見据えて大切に育てられるその一頭一頭すべての命に、感謝を贈りたい気持ちになりました。