【インタビュー】酒膳 眞榮田(前編)

2023年12月5日

女将 真栄田貞子さん

沖縄県那覇市久米。
琉球王国時代、明から職能集団が来琉し、交易の窓口となった街。
沖縄の文化発展に大きな影響を与えたこの地で、酒膳 眞榮田を営み、琉球料理保存協会理事としても活動する、女将 真栄田貞子さんから、2回にわたりお話をうかがいます。

【前編】琉球料理とその魅力を高める器

-それでは、お店と女将さんの自己紹介をお願いいたします。

女将私は、真栄田貞子(まえだていこ)と申します。首里から流れてきたやんばる羽地の真栄田の家の出です。
琉球料理を学び、自分の集大成をと思い、久米で酒膳 眞榮田をスタートし、2023年12月1日に満11年になりました。

眞榮田を出店する以前はうりずんの土屋實幸(さねゆき)さん(多くのアイディアで沖縄料理と泡盛の発展へと繋げた功労者。2015年没)に師事し、うりずん姉妹店のぱやお泉崎店の店長に迎えられて13年間、琉球料理と泡盛を学ばせていただきました。

 

土屋さんには琉球料理も、琉球の文化もだいぶ仕込まれました。

『もう少しプライドを持ちなさい』『負けるな』と励まされ、毎日しごかれました。

今の私があるのは、彼のおかげです。

外国人から見ると、琉球料理と器は、アートに見えていた

-料理と器についての女将さんの考え方を教えて下さい。

女将:先月、カナダの小説家で、沖縄3世のダーシー・タマヨセさんが当店にお見えになりました。

彼女は、自身のルーツである沖縄スピリッツを大切にされていて、沖縄を題材にした小説も書いている方です。

 

前菜のジーマーミー豆腐から、お刺身、天ぷらとゆっくりゆっくりとお出ししました。

すると、器に入ってるゴーヤーチャンプルを見た瞬間、『アートだ!』、そして実際食べてみて『味も
芸術だ!』とおっしゃったんです。

我々はたかがゴーヤーチャンプルーと思いますけれど、ダーシーさんは芸術だとおっしゃり、ああ、彼女の眼には沖縄がこんな風に映っているんだなと、びっくりしました。


そして彼女は、その日が沖縄を離れる最後の夜。
翌日はカナダに帰る日だったんです。

すると『今日はすごいハイライトだ。今回の旅の集大成がここにある』と、私にとっては本当に身に余るような素晴らしいお言葉をいただきました。


また、お料理も一皿ずつ、全部召し上がられてから、次のお料理を待たれる。

まるでフランス料理を食べるように、琉球料理を召し上がられました。

彼女たち外国人は、作った人に感謝、この器に感謝をし、そしてここで巡り会えたことや人に感謝をされているんですね。

-料理と器ではなく、すべてが芸術だと?

女将:あるもの全て揃って芸術だとおっしゃいました。ゴーヤーチャンプルーだけでなく、このお皿1つだけでもない。

味も含めてトータルしたものが芸術だとおっしゃいました。私は本当に嬉しくなりました。

琉球漆器は明から伝わってきた「宝物」

女将:琉球には、漆器があります。色は黒と赤があり、とってもゴージャス。宝物ですから、昔の人たちはこれを丁寧に使っていました。
漆器は、使った後、ぬるま湯で手で綺麗に拭いて洗います。けれど現代になり、食洗機が入ってきて、手で洗うという習慣 が大分なくなってきています。

ですから、扱いにくいのは確か。使われなくなってしまわないか、私は少し危惧しています。

-洗剤をつけて洗ってはダメなのですか。

女将:ダメです。
漆器はぬるま湯で2、3度きれいに洗い、 拭き取って、その後、乾燥させます。漆器も時代と共に使われなくなってきていますが、琉球に明から伝わってきた宝物です。
琉球グラスも、何もかも無くなった終戦後、コカコーラやペプシコーラの瓶を再利用して作られました。

そういう意味でも沖縄の人は頑張らないといけないと私は思っています。頑張りましょう! 

琉球漆器とヤチムン(焼物)は、料理によってより映える方を使い分ける

-沖縄には、琉球漆器とヤチムンの器がありますが、その使い分けはありますか。

女将:最近のヤチムンは、古典柄に加えて、作家さんによっては個性豊かな形、カラフルなものもあります。

眞榮田では、昔ながらのオーソドックスで料理の色が生えるようなお皿を選んでいます。

 

また、琉球王朝時代、王様が召し上がっていたセーファンは、琉球漆器に盛り付け、華やかにお出しします。

セーファンは野菜の「菜」に「飯」と書いて、中国の呼び名で「セーファン(菜飯)」といいます。

一説では、400年以上前に喜安(きあん)という茶人が琉球にやってきて、王様に精進料理をお出ししたと言われています。

 

王様が精進料理の中のセーファンに似た料理が好きだったそうで、王様がそれを作らせ、セーファンとなったとも言われています。

精進料理は昆布だしです。昆布だしの代わりに沖縄にたくさんある鰹だしでセーファンという汁かけご飯になったのではないでしょうか。

セーファンには、喜びの色の4色が入ります。緑、黄、茶、赤。赤は人参、黄色は錦糸卵、椎茸の茶、カラシナの青。蓋をして、少し蒸して、お食事の最後に華やかな琉球漆器でお出ししたら、王様の気持ちになって召し上がれます。

 

琉球の歴史と風土と知恵の集結が、琉球料理の文化。特に料理は国をあげて作っていました。

フランス料理に負けていません。だから、もっと琉球料理を、クーブイリチーも、ラフテーも、ジーマーミー豆腐も、各家庭で作ってほしいです。

食文化を守ることは、生産者を守ること。琉球料理を伝承したい

-ジーマーミー(落花生)は生産者さんから直接仕入れて、ジーマーミー豆腐をお店で手作りをしているとうかがいました。

女将:ジーマーミーを昔はたくさんの農家さんが作っていたそうですが、今はどんどん減って、年間1トンしか作っていない。

私はジーマーミーを作っている農家さんを守るために、その農家さんの約80キロを酒膳眞榮田で買い取らせていただいています。

 

ジーマーミーは、今では伊江島と宮古島で少し作られている程度です。

砂地で作ることができ、島らっきょうができる場所でジーマーミーも作れる。

ですから、農家さんが儲かる仕組みを再構築して、若い人たちが農業を目指せるように、村おこしや地域おこしをしていくと、沖縄の食材も、もっと豊富になると思うのです。

-ジーマーミー豆腐を手作りする理由は美味しさと安心安全ですか。

女将:それもありますが、やはり琉球の食文化を残していきたいんです。

そうしないと、いずれ作れなくなる日が来てしまいます。ですから、伝えていきたい、伝承したい。

今、私たちが難儀してでもいいから、絶やさないようにやれることをやって、教えていかないと途絶えます。

琉球料理の伝承を、本当は各家庭でやるべきですけれど、たとえ一部の人たちだけだとしても、大事なものを残すために、手作りをしていきたい。


ジーマーミーはビタミンEですから、「アンチエイジングのお料理ですよー」と言ったら皆さん飛びつくかもしれませんね(笑)。

伝統的な琉球料理を食べてきた人たちは長生きなんです。

そう、長生きという意味でもとっても大事に伝えていきたい文化ですね。

後編は、琉球料理の歴史を紐解きながら、わずかな資料を元に琉球料理を復活させた貴重なエピソードをうかがいます。

後編へ続く>>>