徳森養鶏場(くがにたまご)代表 ノーマン裕太ウェイン氏
母の祖父から養鶏場を受け継いだ、徳森養鶏場(くがにたまご)代表 ノーマン裕太ウェイン氏。
継いでみてはじめて気づかされる、養鶏農家が抱える現実と自社の課題。それらをポジティブな視点で捉え直し、付加価値の高い沖縄食材へと変容させていく事に挑戦しています。ノーマン氏の話を通して、商品ブランディングのヒントを探ります。
-早速ですが自己紹介をお願いします。
ノーマン氏:株式会社徳森養鶏場の代表、ノーマンと申します。創業者である祖父から7年ほど前に徳森養鶏場を継ぎ、現在、地元の特産品を飼料とした「くがにたまご」を生産し、地域に根ざした活動をしています。地元うるま市には、伊計島で多く作られている黄金芋という特産品があります。この黄金芋を食べた鶏さんたちが産んだ卵は、甘みがあり、臭みがなく、黄身の色味も鮮やか。この「くがにたまご」を作って5年が経過し、今ではうるま市の直売施設うるマルシェ(農水産業振興戦略拠点施設)さんや県内大手のスーパーさんとも取引ができるまでになりました。
ノーマン氏:祖父が1967年に創業し、ちょうど50周年のタイミングで事業を任せてもらうことになり、会社としては58年目になりました。任せてもらった当時、徳森養鶏場のことはほとんど世間に知られておらず、近所の人ですら「こんなところに3万羽も鶏がいたの?」と言われるくらい、生産のみに特化した養鶏場でした。
生産と販売が分業されていた昔ならではのやり方で、「卵を作っては出荷する」を繰り返し、出荷後は名もなき一つの「沖縄県産たまご」として売られていく。かつてはそのやり方が効率が良かったのかもしれないけれど、これからは生産だけではなく、自分で値段をつけて、販売までを行いたい。
そして単純に、「この養鶏場をどうにか有名にしたい」という思いで始めました。
もっと知ってもらうためには、見た瞬間「トクモリ」とわかるロゴも必要。
イメージを変えるためパッケージにもこだわっていこうと決め、卵のパックや手土産袋を作り、次にホームページができて…といったように、今、少しずつ出来てきています。そうして養鶏場を運営していく中で、なによりも農業のイメージを変えたいという思いが自分の中で強くなってきました。
農業自体が高齢化し、中には後ろ向きな意見も多く、沖縄だけでなく全国的にも農業に対するネガティブなイメージが強い。でもやってみると、めちゃくちゃやりがいがあったり、「自分たちで想いを持って作っていく」という、そのこと自体が楽しいのです。この楽しいことをもっと発信して、自分たち以外にも前向きに、若い世代を巻き込んでいける人が一人でも増えていけば、今は業界として後方を走っているかもしれないけれど、そのうち自分たちも前を走れるようになるはず。ですから変えるべきところは変えていかないといけない。もっと活気ある業界にするめに、今できることをコツコツ探して活動をしています。
-「くがにたまご」というブランド卵が生まれた背景とは?
ノーマン氏:祖父から受け継いだ当初は、生産はするが販売はお願いをするという状態。
まずは目の前の生産の改善を行いながら、「より自分たちらしい養鶏場を営むためには、どうしたらよいか?」「商品である卵をどうしていくか?」を考えていき、結果的に今の「くがにたまご」ができるまで、2年かかりました。
他社の卵について学んでいくと、DHAの豊富さや、沖縄ならではのEMたまごであること、ビタミンが豊富であるなどを謳い、それぞれ工夫をされていますが、みな、どうしても似通ってしまうと感じました。その中で、自分たちらしさを打ち出して、知ってもらうにはどうしたらいいのかを考えると、「何が徳森らしさなのか?」の追及になる。ワークショップやセミナーに出かけてみたり、考え方を勉強していくうちに「地域らしさに何かヒントがあるのでは?」と、ふと思いついたのです。
そこで徳森養鶏場のある、うるま市の特産品を探し始めました。
すると津堅島の人参や、黄金色をした黄金芋があったり、もずくの生産が日本一だったりと、うるま市にはたくさんの地元ならではの特産品がありました。
それを餌として鶏さんたちにあげてみることにしたのです。
餌にするためには、一年中原料が確保できる事などの条件を考慮しながら絞っていき、津堅島の人参バージョン、黄金芋バージョンなど、いくつかの特産品を鶏さんたちの餌にパウダー化して添加。
与えた餌によって、卵はおよそ2週間で変化しますが、通常の配合飼料も含めて、試験区を分けて3週間ほどテストを行いました。
すると黄身の色味が一番鮮やかになったのが黄金芋でした。五角形のレーダーチャートで評価される食味分析結果でも、色に加え、コク、余韻など、黄金芋が抜群に相性が良く、美味しくなるという結果がでました。そうして、餌として黄金芋を採用することにしたのです。
ノーマン氏:黄金は ウチナーグチで「くがに」と読みます。餌として黄金芋を採用することが決まった後に知ったのですが、徳森では農業用水として地下水を使っていまして、この水が昔から黄金水(クガニミジ)と呼ばれていたことがわかったのです。「餌も黄金、水も黄金、これはもう黄金卵(くがにたまご)だ!」地域性とストーリー性を伝えていく意味でも「これだ!」と一気に繋がりました。
商品が決まったことで、ロゴやパッケージデザインも決まって…というところで地元うるま市の直売施設である、うるマルシェがオープン。
まさに「くがにたまご」を待っていてくれたかのような絶好のタイミングで、デビュー先が決まったのです。こうした不思議な巡り合わせもあり、テレビやラジオ、新聞に少しずつ取り上げていただき、知っていただける機会も増えていきました。
課題は常に出てきて、今も大変ではありますが、一つ一つやっていくことで、人と人とが繋がって、繋がっていけば形になる。そんな経験をしています。
-商品の魅力を伝えるために工夫していることは?
ノーマン氏:地域に根ざした原料を餌としている「くがにたまご」の特徴やストーリー、またチャレンジしていることを伝え、ファンになってもらい、選んでもらえるように発信をしています。価格帯も、1パック1,000円超えと、限られた人しか食べられない高級な卵もありますが、「くがにたまご」は地域のこだわりを乗せた分、普通の卵より少し高いけれど、地域を応援するつもりで買ってもらえたり、「くがにたまご」を食べて少しいい気分になってもらえたら…等、応援し合えるといいな、という考え方で販売をしています。
-弟さんとお二人でYouTubeなどSNSを使った情報発信も有名ですね。
ノーマン氏:自分たちで発信する力をつけたいと思い、芸能活動をしていた弟とノーマンブラザーズと銘打って、YouTubeやTikTok、Twitter、Instagramを使って企画発信し、今ではSNSの担当も付けて、力を入れてやっています。また、講演や講習、食育、イベントなど、チャンスがあれば積極的に出かけていきます。消費者の手に届くまでの流通過程で、間にたくさん挟まれば挟まるほど、自分たちの思いの届き具合が薄くなっていくはずなので、農家が前に出て直接伝えることを、やれる限りはやろうというのが、大きなテーマの一つです。
消費者に直接伝えられるチャンスがあれば積極的に出かける
-卵を使った加工品や、アパレルも展開されていますね。
ノーマン氏:「くがにたまご」ができ、これを伝えるべく活動をしている中で、「もっとチャレンジしたい」「農家だってもっとチャレンジしてもいいじゃないか」と、アパレルをスタートしました。
最初は色々と言われることも多かったのですが、言われたとしても、やはりチャレンジしたいという思いは変わりませんでした。「ニワトリ」と書いてあるTシャツ、略して 「ニワT」やキャップ、バッグなど、グッズを作って、ホームページでオンライン販売をする他、県内でポップアップ店舗を出店したりなど、そのチャレンジしている姿を発信するひとつの取り組みとしてやっています。
「ニワトリ」Tシャツ、略して 「ニワT」。
ノーマン氏:またその他にも、6次産業化として、自分たちが作っている卵を原料として活かせるような、スイーツが1つでもできたらいいなと思っていた矢先、ご縁をいただいて、今、大手のお菓子メーカーさんと、バウムクーヘンを作っています。先日、羽田空港でも販売が決まったところです。
このバウムクーヘンには、「くがにたまご」だけでなく、地元で生産している塩がコーティングされています。沖縄を代表する新たなお菓子を、沖縄の地元の卵や食材を使って、みんなに知ってもらえるといいなと思っています。1個1個進んでいくと、進んだ先に続きがまた出てくるから面白いものです。
羽田空港でも販売が決まった、大手お菓子メーカーとくがにたまごがコラボレーションしたバウムクーヘン「おきなわ塩ばうむ くがに物語」
-今、人手不足や雇用継続の問題なども多いですが、組織としてどのような取り組みをされていますか。
ノーマン氏:徳森養鶏場でいえば、元々はシフトもありませんでした。自分が受け継いだ当時は、それぞれが自分のポジションに入って全てをこなし、休みもあってないような状況でした。けれど調整していくと、全員週休2日を取ることができたんです。今では当たり前になりました。
そうやって、なんでもやり方次第で出来ていく、変えていけるものだと思います。
付加価値をつけて、発信する力をつけて販売し、会社としてしっかり体力をつけて従業員に還元する。
扶養者がいる方は手当を付けたり、結果が良い時には誕生日にボーナスを出したりしています。
社内にも、少しブッ飛んだキャッチーな発想を取り入れることで「面白いことをしていく会社なんだ」という現場への空気作りも意識してやっていますが、うまくいかないことも何度もあり、トライアンドエラーでやっています(笑)。今、徳森の平均年齢は30代が10数名。それぞれにあったポジションにベテランのメンバーと若手メンバーがチャンプルーして(混ざりあって)仕事をしています。
-幅広い世代がまとまりながら活躍できる、環境づくりの秘訣は何かありますか。
ノーマン氏:ベテラン世代も若い世代も、みんな一緒になって、仲間として上下関係や、難しいことにならないような体制作りは気をつけているかもしれない。やはり長年やってきた方への敬意や、尊重すべきこともありますし、同時に新しいことに挑戦をしていくのであれば、あくまでもその任せた人に、きちんと任せていくというふうに。
これからも課題はずっとあると思いますが、たくさん話すことを大切にしています。
また福祉とも連携して、就労支援の方も一緒に、任せられるポイントを分けて、その人に向いている仕事、適性を見つけることを必死にやって、それぞれが活躍できるような体勢作りを目指して運営しています。
-一方で鳥インフルエンザなど、リスクもある職業でもありますね。
ノーマン氏:できる限りの対策はもちろんしますが、これはほとんど運に近い。業界としても、できることにベストを尽くしてやるしかない。養鶏場の鳥インフルエンザだけでなく、養豚場であればトンコレラや豚熱、野菜であれば、台風をはじめとする災害など、農業・畜産業など食料を生産していくことはもちろん大変なことではあります。
ただ、それはもう向き合っていくしかない。食べ物は人間にとって必要ですし、できる限りを尽くす。
なるべくリスク回避に努めながら、国や県も一緒になってバックアップ体制を作ってくれていますし、大変さを知ってもらいながら、もっと前向きな部分や良さを子供たちや皆さんに伝えていけたらと思います。
おそらく第一次産業である食料の生産は100年後も必要なもので、必ずみんなで繋いでいかなければならないもの。そういった熱量を持ってる方には向いている産業だと思います。これからの業界は、団塊の世代をはじめとした先輩方が引退していく中で、おそらくガラっと世代交代がおき、強烈に若い世代が頑張らなければならない時代が来る。
だからあとは、仲間をどう増やすか。職業に何を選ぶか?誰とやるか?それが農業を選択してくれたら嬉しいですが、世代交代をポイントとして見ながら、選択肢の一つとして、農業を考えてみてもいいのではないかと思います。
-これからの展望は?
ノーマン氏:構想のひとつに、卵を輸出するというのもありますが、反対に日本にどう来てもらうか、沖縄に、できればうるま市に、どうやったらみんなが来てくれるか、インバウンドに挑戦していきたいと思っています。世界に向けて考えた時、まずは日本の食文化である「卵を生で食べる」というのを発信していきたい。
卵を生で食べる文化は、世界でも類をみません。それだけ、日本の卵の品質や物流が素晴らしく、それ自体が食文化に直結しています。
かつては考えられなかったであろう「生魚」を食べるという文化が、寿司を通じて既に世界に出て行っていますが、寿司だけではなく、日本は卵もすごいぞ!と。
もちろん火を通しても美味しいですが、「まず生で食べて欲しい!「TKG(卵かけご飯。Tamago Kake Gohanの略)を食べに来て欲しい!」といった具合に、卵を生で食べるという日本の食文化をプロモーションしていきたいと思います。
ノーマン氏:卵はマルチ食材。おかずとしてもたくさんの活躍の場があり、加えてスイーツにもなれるし、調味料にもなれる。そして日本中どこへ行っても卵メニューがある。
ラーメンにも卵が入っているし、パスタならカルボナーラ、牛丼は卵を割って食べたりもする。ゴーヤーチャンプルーにも卵は使われる。どこを見渡しても卵が大活躍をしている国。
「日本の国旗のルーツはもしかしたら目玉焼きなんじゃないか(笑)」と真ん中の赤をオレンジに近い色にして勝手にたまご王国の国旗に見立て、YouTubeで活用しています(笑)。少し面白くして、知ってもらうためのきっかけとして、兄弟でプロモーションをしながら、卵から、日本の良さを楽しく海外に発信できるような一人になれたらいいなと思っています。
自分たちならではの物語を作り、届ける。それがブランドの力になる。
『ノーマンブラザーズ』として弟さんと二人で公式SNSを展開するノーマン裕太ウェイン氏。
「たまごで世界を笑顔に」をキャッチフレーズに、自身を「たまご王国の王子・ノーマン王子」、弟であるノーマン渉太トーマスさんは「王国を導く騎士団長・トーマス団長」とそれぞれ名乗り活動している。(ポーズはSNSで展開される「はい、くがに」ポーズ。)