【インタビュー】あごーりば食堂
左:料理長 土田芳枝(つちだよしえ)さん
右:コーディネーター 石川優子(いしかわゆうこ)さん
沖縄うるま市宮城島の地域団体SU-TE
SU-TE(スーテー)とは、宮城島の方言で『みんなで一緒に』という意味。
SU-TEの活動の一つに、『古民家食堂あごーりば』がある。
「あごーりば」とは、宮城島の方言で『お召し上がりください』という意味。
活動しているメンバーのお二人にお話をうかがった。
「地域で何かをしたい」。その想いから生まれた食堂。
-お二人の自己紹介をお願いします。
土田さん:土田芳枝と申します。沖縄本島の金武町という場所で生まれ高校まで住んでいました。
その後、学校、就職、子育てと、東京に、そうですね・・・35年くらいいました。
宮城島は両親の田舎なのですが、5年前に移住し、あごーりばに関わっていったという感じです。
石川さん:私は名護市源河の出身です。今は、伊計島に住んで約10年になります。
SU-TEという地域団体を立ち上げてからは6年ほどで、あごーりばを始めこの度2周年です。
地域に関わる仕事・・・仕事というかライフワークでやっています。
-SU-TEという地域団体として、あごーりばさんを立ち上げたのですか?
土田さん:そうですね。ちょうど私が宮城島に移住してすぐに優子さんと知り合いまして。
東京に住んでいる頃、武蔵野市でシェアキッチンに3年くらい関わっていたこともあり、いずれ民宿や食堂を島でやるのも楽しそうだなと、漠然と考えていました。
宮城島には古民家の空き家がたくさんあるのですが、借りるのが結構大変なんです。
ちょうどSU-TEのメンバーが古民家を活用した地域活動で何かできないかを考えているタイミングとこの場所を借りられることがたまたま重なり、それならSU-TEのメンバーに私も入って活動しようということになりました。
-改めてSU-TEのご紹介をお願いします。
石川さん:SU-TEは島の方言です。直訳が難しいのですけれど、「みんなで一緒に」という意味で、何かやる時に「スーテーで」というふうに使うんです。
最初は3名だったのですが、立ち上げの時は、今この団体の代表でもある男性(新屋秋夫氏)を口説くのに約3年かかりました。
「どうしてもこの人に参加してもらいたい」、「この人とだったら、地域のことに一緒に楽しく関われるんじゃないか」という直感みたいなものがあって。
でも最初は全然相手にされなかったんです。「一体全体おまえは誰なんだ」って感じで(笑)。
でもこの人と一緒に地域活動として何かやりたいという強い思いがあり、3年口説き続けて、『じゃあ、3人でなんかやるか』となりました。
3人で5万円づつ出し合って15万円。
とりあえずそれで何かやろうとなって、まずは「Tシャツを作ろうか」から始まり、本当に自分たちの楽しそうなことから手をつけていきました。利益とか商売とか抜きにして、地域に関われる楽しそうなことをしようと。
まずこの3人、このメンバーがいなければ今も続けていないし、やれてこれなかったと思います。
その頃はSU-TEのメンバーをもっと広げようとは思っていなかったんですよ。
けれど土田さんに会った時に、サブ的な感じではなく、「やるなら一緒にやりたい!」と思ったんです。
それでメンバーの2人に土田さんのご両親が宮城島出身であることや、これまでの経緯を説明すると、『いいじゃない!ちょうど女性は私(石川さん)1人しかいないし!』となって。
あれもすごい転機だったなぁと思いますね。
その後、もう一人同級生が入って、5人で改めてスタートしました。
SU-TEのメンバーを今後、増やしていこうという気はないんです。
少数精鋭で、これぐらいがちょうどいいというか、本当にこのメンバーでよかったなって思います。
あごーりば食堂
-その後はどのように作り上げていったのでしょう?
土田さん:最初から食堂と決めていた訳ではなかったんです。
空き家は借りた。さて、ここをどんな場所にするか?みんな仕事をしているので、空いている時間、週末なんかに話し合いを重ねていたら、インターナショナルデザインアカデミー(以下、略 IDA。沖縄県浦添市にある建築及びインテリアの専門学校)の先生からたまたまお話があって。
空き家の活用として、ここをどうに使ってもらうのがいいか?というテーマで若い生徒たちにアイディアを出してもらおう、となったんです。
私の中にも、食堂というのは頭にありましたが、普通の食堂じゃないよなぁ、と思っていました。
そのあと生徒たちから6つのアイディアが出てきたのですが、その内容が全部良かったんです。
すごいんですよ。模型も作ってくれて、綺麗に図面にも描いてくれて。それを見ているとだんだん現実的になっていく。模型を見ながら、「こんなのも作れるんだ!」みたいな。そうなると、私たちの中でも具体的なイメージが出てくる。そこで、やっぱりやるなら食だという気持ちが固まった。
そこから、本格的にリノベーションを始めました。
-元々この建物自体はどういった状態だったんですか
土田さん:もう大変でしたよ。ここ本当に住めるの?みたいな。荷物がいっぱいある状態で、倉庫でもない、廃墟みたいな感じですね。
石川さん:匂いもすごかったです。動物もいたのかなという感じ。空気ももちろん淀んでいるし、植物もすごい状態で、とにかくすごかった。
土田さん:家の周りも今はちゃんと整備されていますが、家の中に入れない、裏なんてもう怖い雰囲気で「入れない」ではなく、「入っていってはいけない場所」みたいな。それぐらい怖い雰囲気でした。
石川さん:そういう家でも借りるのは大変です。家主さんも簡単に貸すわけにはいかないですし、そのあたりはSU-TE代表のような人たちがいたから借りられたんだろうなという気がしますね。
土田さん:ちゃんと島の人だ、やっぱり信頼できるっていう人たちだから、という理由で、借していただけたのかなと思います。
-その廃墟の状態を見た学生が石川さん達やSU-TEメンバーの思いを聞いて提案の形にしたのが6通りあったのですね。
土田さん:本当にありがたいことに、いろんな外部の方からの力のおかげだなと思うんですよ。ご縁が多くて。私たちメンバーにも、それを素直に受け入れる姿勢の人が多かったなと思います。
IDAさんとのお付き合いも、その当時のうるま市役所の職員さんが学校に「地域の空き家について授業で一緒に考えることができないか?」という打診をしてくれたことから始まりました。
学生の彼らも生の現場を見る機会がないので、それはすごくいいお話だという互いの利害が一致しました。
すぐに授業に取り入れて下さり、私たちが何をするかという方向性を決めるきっかけとなりました。
それが決まると、次は資金はどうする?運営はどうする?となり、次の課題が出て来たときに、「ワタクシプロジェクト」という行政の創業支援事業があるという情報がタイミングよく入って来て、参加させていただきました。
そこでも出会いがあり、当時一緒に学んだ皆さんも起業されているので、良い仲間としてお互い情報交換もしながら成長しています。
自分たちの思いだけでは絶対この場所はできなかったし、色々な外部の方の力を活用させてもらって今がある。
これからもお願いできたらいいなと思います。
一人ひとりのオーダーが独特。それも面白い。
-食堂のメニューを考えるにあたって、こうしたいというこだわりはあったのですか?
土田さん:私は出身地が金武町なので、繁華街とかバー街とか、1ゲート2ゲートとか、宮城島とは違う雰囲気でめちゃくちゃ賑やかだったんです。
レストランに行くとAランチBランチがある。だから自分でやるなら絶対AランチBランチをやろうと思っていました。(※Aランチ:沖縄ではなじみのある名称で米軍向けにアメリカ人シェフが沖縄市で始めたとも言われ一般的に「Aランチ・Bランチ・Cランチ」は「松・竹・梅」と同じような意味で使われAランチが松に当たる。1つのプレートにお肉やフライ、ライスなどが盛られた洋食メニュー)
でもみんなで色々やっていくと、この場所では、AランチBランチではないんじゃないかと思うようになりました。
ここを壊したり、直したりしていると、おじいおばあ、子どもたちが通るんです。
みんなに「食堂ができるよー」って言うと、「そば屋ができるよ~」って噂が流れて、いつの間にかそば屋になっている(笑)。
沖縄では、そばは各家庭の味もあり、美味しいそば屋もいっぱいある。難しそうだけれど、みんなはそば屋と思っていてそばがなかったら怒るだろうし、食堂だけどメインはそばにしようか、とだんだん決まってきました。
最初の頃はチャンプルー種類がいっぱいあったり。
みんな素人だから「これだ!」と決められなくて、いろんなことに手を出して、何種類もつくりました。
開店日も最初の1ヶ月は何曜日を休みにしていいか分からなくて毎日開けてたり。
1ヶ月もするとやっぱり疲れるんですよ、みんな他にもお仕事をしていますから。
これはまずいなとなって、週5日開店(現在は週3日開店)にしました。
そんな風に試行錯誤しながら、メニューもよく注文が出るものに減らすなどして、今に至っています。
-地元のおじい、おばあの声もメニューに反映されています。
土田さん:最初の頃は、薄い!濃い!苦情もいっぱい(笑)
今では「そんなこと言ってない」ってみんなは言うけれど、実は結構大変でした。
でも今思うと愛の鞭だったのかな、ガンガン言ってもそれでもやっていけるんだったら応援するよ、という感じだったのかな、と思ったり。
今振り返るとちょっと不思議な感覚です。
はなりそば
-家でご飯を食べて、自分の親に「薄い、濃い」を言うに近い感覚ですね。
土田さん:そうですね、本当に島の人たちはハッキリ言います。嘘はないと言うか(笑)。
最初の頃こそ、いろいろ言われると気になって薄くしたり、濃くしたり、毎日味が変わっていたと思います。
半年ぐらい経った頃かな、「もう自分が美味しいと思うもの出そう!自分の実家や、今まで食べて美味しかったもの出そう!薄いだの濃いだのはそれぞれ好みがあるから」と割り切って出すようになりました。
そしたらなんだか良い感じになったと言うか。落ち着いたと言うか。
石川さん:お客さんの注文の仕方も独特です。「この間まで入院していたからちょっと脂っこいものはダメ。
健康的にゴーヤーチャンプルーにしよう。ゴーヤー少なめにね。」と注文してくる。
土田さん:「俺は歯がないから、そばは絶対すごく柔らかくしろ」とか、本当に何でもかんでも(笑)
石川さん:「血圧高めだから豚丼は汁ダクダクにしてくれ」とか、真逆なんですけれど(笑)。
またある時は入って来るなり「うしろ1つ」とか言ってくるんですよ。
周りのお客さんは「うしろ」ってなんだろうって顔で聞いている。
「そば(隣り)だから、次は前って注文をするからね」と、前(まえ)後(うしろ)でそばを注文してきたり(笑)
土田さん:分かりにくいけれど、独島な言い方がその方にはあります。
石川さん:この島とこの食堂のいいところだなって思うんですけれど、ちょっと共同売店っぽいというか、相互扶助というか、家ですよね完全に。家のキッチンやリビングと似たものがあって、自分の好きなように、好きな量で注文したり。
だからか残す方がほとんどいなくて。食品の廃棄率、すごい少ないと思いますよ。皿洗いしていて、残飯っていうのが出てこない。
みんな本当に上手に食べてくださるんですけど、その裏には好きなように注文してるっていうのがある。
量とか、濃さとか。だから家みたいになっています(笑)。
-通常の飲食店でそこまで細かくオーダーをお客様一人一人に対応するお店は少ないと思います。だから実家に帰ってきた感覚ができるのでしょうね。
石川さん:そういう風に最初からそう思っていた訳じゃないんですけど、だんだんそうなってきました。
ただ、IDAの生徒さんが出したアイディアの中に「島のリビング」というのがありました。
それはいいなと思っていましたので、頭の中に残っていたのかもしれない。
食堂なんだけれど、みんな来る。
ちょっとユンタク(※沖縄ではお茶を飲みながら世間話をすることをユンタクと言い、頻繁に「ユンタクしよう」と使います)して帰る。
別に用もないのに外のテーブルに勝手に入ってきて、話したら帰っちゃう。あれ何にも食べないの?とか(笑)。
そんな事もありながら、徐々にそういう雰囲気になってきたんじゃないかな。
観光客の皆さんも不思議なほどちゃんと探して来てくれる。
観光客の方も、この雰囲気を楽しみながら、隣の人たちや、面白いおじいたちと喋ったり、宮城島の方言が全然わからなくてもそれを聞いて笑って楽しんで帰る。
それぞれの出会いをここで、楽しく体験しているという感じです。
ヨガに三線、子ども食堂まで。島の人が生きがいを見つける場所。
-もう食堂を越えてますね。あと、こちらでヨガもされているそうですね。
土田さん:毎週月曜日の10時30分から12時30分まで2時間、みっちりヨガの先生が島の人達を集めて教えてくれるんですけれど、その方もあごーりばに普通にご飯食べに来て気に入ってくれたようで、「この場所でヨガやりたい」と自分から言ってきてくれたんです。
「えっ、ここ食堂だよ?」と話すと、「こういう場所(食堂からは海も見える)でヨガがやりたかった。自分のイメージと合うのでやらせてください」と。
でも住んでいる人は年配の方が多いし、若い方たちはみんな働きに出ているし、その時間帯に島でヨガをやっても来るかなって言うと、先生は「人が来なくても自分の練習だと思えばいいから貸してください」とおっしゃる。そこまでおっしゃるならとお貸しました。
本当に最初は2人くらい、私たちスタッフくらいしかいなかったりしたのですが、徐々に口コミが広がって。
店の前を通りがかってじーっと見ながらサーって帰るみたいな、気になっているのかな?という人がいたり(笑)。
気がついたら、もう1年半過ぎたのですが、今ここ満員御礼。外までヨガを受けている人がいる。
この島で、ヨガをやる人がいるって、「エエー!?」みたいな感じですけど、おじいもおばあも、ちゃんとヨガマット持って、テクテク歩いてきて、「はい、やるよー」と(笑)。
不思議ですよ、自分の前を歩いているおばちゃまがマットもって優雅に歩いている姿をみたら。
ここどこだったかなー?みたいな(笑)。「宮城島だよね??」みたいな感じでとっても不思議です。
けれど、だんだんそれが普通になってきました。
他にも三線教室も楽しくやっているし、いろんな使い方がある。
皆さんが、自分でこうしたいああしたいと考えてくれて希望を出してくれます。
あごーりば食堂で行われるヨガの様子
-最近は、修学旅行生を受け入れてワークショップもやられているとお聞きしました。
石川さん:修学旅行をこの1年くらい受けています。
色々なところから中学生や高校生が来てくれていますが、その都度、要望する内容をお聞きして、できる事をやっています。
私たちは何か特別なことを自分たちが考えるというよりは、手作り体験に草玩具を入れたり、おやつのムーチー(餅)作りをやったり、島歩き、ビーチクリーンとか、普段していることを提供することで、相手が望むことが得られるのであればお互いにとてもいいなと思っています。
最近思うのは、ここ宮城島でも核家族化で、孫まで一緒に住むっていう世帯が少なくなってきています。
その中で、島の人たちが頼りにされたり、島の人自体が生きがいを見つけるような瞬間がちょっとでも多くなるなら、これは本当に良い試みだなと思っていて、数が多くてもやり続けたいなと思うんです。
-あごーりばさんは、お客様年齢の幅が広いですよね。なぜこれだけの方に親しまれているのでしょう?
石川さん:あごーりばは、「召し上がれ」の意味なんですが、召し上がるのはご飯だけじゃない、みんなそれぞれここに来て、何か持って帰っているような気がするんですよ。
これは私たちが意識し出すと多分崩れそうな気がするんですけど。
今は自然に、私達のライフワークのひとつとしてこれができているから、好きでやりたいことをやっている感覚の間は多分続くと思います。
何かやらされてる感みたいなものが出てくると、どこかで押し付けっぽさが出てくるので、変わってきてしまうかなと思いますが、今は皆が、ここから色々なもらっていっているような感じがします。
それを見て私たちはまた喜んでいる。
とってもいい循環の空気が流れているんじゃないかなと感じますね。
ハロウィンイベントで仮装するメンバー
-もう食堂という枠を越えてますよね。やっていること自体もヨガがあったり、三線があったり。
石川さん:子ども食堂もありますし、地域食堂、高齢者向けのお弁当もある。
土田さん:高齢者向けには、善意のある方が一人暮らしの方にお弁当を届けてくれています。
安く島の食材を提供してもらって、無理なく作るお弁当を少し大変な方たちに配る。
配られた日もユンタク好きなおばあちゃんたちはここで食べるんですよ。
「今日は天気もいいから、あごーりばで食べようね」と。
宮城島は4ブロックあるのですが、宮城の他の集落のおばあたちも、いろんな方が協力して車で連れてきてくれる。ここで「久しぶりだねー」と、とってもいい雰囲気。
たまにそこにおじいが一人で入って来て『紅一点!』と、おばあたちに言われながら恥ずかしそうに食べる。
その時その時で、来てる人によって雰囲気も変わり、すごいいいですね。
地域食堂としてそういう場を持つことができて、うれしいです。
-人は都心に集まりますが、商売としてはこういう場所でチャレンジするのはす勇気がいると思うのですが、なぜここだったんですか?
石川さん:商売という気持ち、多分それがなかったんですよ、最初っから。
土田さん:それがなかったからよかったかもしれない。あまり心配はなかった。
石川さん:皆さん、これどうですか?と勧める気もなく、スタッフもボランティアで。
それで全てよし、ではないとは思っています。
ただこういう場所もあるということと、私たちはたまたま運営しているメンバーの考え方がある程度が似ていて、自分たちの趣味を越えた形をやらせてもらってるので、だからあまり心配はしていなく、うまくいくことしか私は想像していません。
-だんだん人が離れていく土地で、同じようなことやろうとしている人はたくさんいると思います。このスタイルはそういった方々へも勉強になりますね。
石川さん:ここは作った時からたくさんの人の手がかかっています。
業者さんに頼んでいるものがほぼないので、それぞれが自分がやったというちょっとしたプライドもあるんですよね。愛着もあるんです。さっき少しインテリアの話が出ましたけれど、島の人がインテリアとして置いていってるものがあるんです。「ここに合うと思うんだよ」と水筒を置いていったり、湯のみとかお茶碗とかを持ってくる。「ここに合ってると思うから置いてねー」って。
それを並べることは、すごく光栄なことだと思うんです。
ここに集まっている物の一つ一つ、それぞれ人の思い入れがあって、その人はここに来る度にそれを思い出したりする訳です。だからなんとなく懐かしい気持ちがする。あんまり新しいものをわざと置かないようにしていて、とはいえ全部古いもので揃えられないので、なんとなく雑多な感じに見えると思いますが、それが誰にとっても懐かしい感じ、不思議な状況になっていると思う。
物はすごく多い筈なのに、何か整然と整理されてるような。
トイレも男性用がないんですけれど、島の年配の人たちは男性用のトイレが欲しいと言って、それは作れないなって言ったらその便器を持って来たりするんですよ。
寄付するから付けてくれって。まぁ置いたままですけど(笑)。
「考えます」って言って置いたまま。
なんか自分たちが欲しいなって思うものが巡り巡ってこっちに回ってきます(笑)。
土田さん:誰にとっても心地よい空間になっちゃったわけですよ。
-今後どういう風にあごーりばさんを維持するのか?新しい取り組みなど、お考えはありますか。
土田さん:たまにですけど、『あごーりBAR』を突然やったりしてます。
営業が金土日なので、月~木は食堂はお休み。
その休み前の夜に、残っている材料がある時に適当につまみを作ってちょっと声をかけたりすると、人が集まってくる。
みんなで軽く宴会やユンタク、三線を弾いたり、歌ったり、踊ったりを、不定期にやっています。それを密かに楽しみにしている人もいます。私達も3日間の疲れを癒す、そんな使い方もしています。
このあたりは夜、食べる所がなく、あごーりばも通常は昼営業なので「夜ちょっと食べたいんだけど〇人でお願いできますか」と希望をいただく時もありますが、できる範囲内で受け入れてあげたいなと思っています。このあたりは夜に食べる所がないので、やっぱりみんな本島に行きます。
折角だからあごーりばでちょっと楽しんでもらいたいなと思っているので、「あごーりBERができて結構面白い」と、いつかそういう場所になれるのもいいな、と思っています。臨機応変に、希望があったら、自分たちも無理なくやってあげられる範囲内はやっていきたいなというのはありますね。
石川さん:今、世の中SDGsで、続けていこうみたいな感じがありますが、あごーりばも、続けていくことを考えた時に、そもそも「私たち自身」が続けていける状況でありたい。自分たちが心身共に健康であること。今のようにやりたいことがやれていけるように、自分たちがどう続けていけるか。ここ最近、一つのキーワードがあるとすれば、「人」だろうなと思います。いっぱい手伝ってくれる人がいて、しかも自分から「ここを手伝いたいです。ここのメンバーになりたいです」と来てくれる人に出会うと、本当に人は宝だなって思うんです。お金では買えないものなので、つながりを続けていけるために人との時間を、もっと大事にできたらいいなと思います。
土田さん:「手伝うよー」って言ってくれる人が多すぎてちょっと困ってる(笑)。
どうしよう。なにしてもらう?みたいな感じで(笑)。
石川さん:最近、自分たちは本当にどう還元できるだろう?と考えるんですけれど、「もう、すでにいただいているので還元はいりません」と言われたりすると、本当にありがたい。
たくさんの人がここに関わりたいって言ってくれる場所になっているなと思います。
-お店の名前があごーりばになった理由を教えてください
石川さん:SU-TEのメンバーでいくつか出し合ったんですけど、そのうちの島の一人が「あごーりばでいいんじゃない」って突然言い出したんです。
みんな、「いろんな案が出ていたのに、なんでこれを誰一人思いつかなかったんだろう?」「こんなに島の言葉で食に関するいい言葉があるのに!」と。
一発で決まったよね。
土田さん:あごーりばは「どうぞ召し上がれ」宮城島独自の方言です。
私の両親はふたりとも宮城島の人間ですが、「あごーりば」という言葉は聞いたことがなかった。
その案が出た瞬間、島の人は「あーそれそれ!」と言っていましたが、私はわからず、その後、母に話すと「なんで知ってるの?いいじゃないその名前!」と言っていました。
石川さん:最近、本当によく「あごーりば」という言葉を耳にします。
3年前まではこの島の中でこんなにも「あごーりば」と聞くことはなかっただろうと思うんです。
最近、少し天狗になりかけているなと、自分でも思うくらい(笑)。
土田さん:「あごーりばで待ってるよ」と待ち合わせ場所に使っているくらい。
石川さん:「あごーりば」という言葉がいろんなところで使われていて、観光の方は宮城島に来ると必ずと言っていいほど聞いていきます。
店内にも小さく書いていますが、あえて大きく書かないのは、「あごーりば」の言葉や意味を聞いてもらったほうがその場その場のコミニュケーションが生まれて、説明する人それぞれで面白いこと言って伝えたりしているので私たちが書く必要はないかなと思っています。