アートとしても注目を集める琉球ガラス作家・稲嶺盛一郎氏の作品に触れながら沖縄伝統工芸・琉球ガラスの魅力を今一度学び、食の魅力を高める演出としての器、土産物品としての価値の再発見を目的にワークショップを開催しました。
【講師】琉球ガラス 宙吹ガラス工房 虹 稲嶺盛一郎 氏「現代の名工」稲嶺盛吉氏を父に持ち、2代目として工房を構える盛一郎氏の工房を見学。備長炭やカレー粉、珊瑚土などを使い、固定概念を覆す自由な発想で妥協なしの作品を作り上げる「琉球稲嶺ガラス」の神髄に触れるお話をうかがい、稲嶺氏渾身の作品を拝見させていただきました。
工房についてまず最初に、美しく積まれたたくさんの空き瓶に驚きます。これが全て琉球ガラスに変わるようです。
みなさん集合してご挨拶。
(左)稲嶺盛一郎さん (右)息子さんの稲嶺歩夢さん
歓迎のご挨拶をいただきました。優しい笑顔で迎えていただきうれしくなります。
まずは歩夢さんより琉球ガラスについてのお話です。
かつての沖縄では、本土からガラスを仕入れていたそうですが、輸送の途中でよく割れたため、明治の頃に、沖縄でもガラスが作られるようになったそうです。無色透明な瓶を再利用し、ランプカバーや薬の瓶などの製品に作り替える技術が長崎や大阪から沖縄に伝わりました。
しかし、先の大戦で沖縄は焼け野原となり、多くのガラス工房が失われ、ガラスの原料も無くなってしまいました。物資が圧倒的に不足する中、職人たちは駐留米軍から廃棄されるコーラやジュース、ビールの空き瓶が大量に捨てられていることに気づきます。
「これを材料にガラスを作ろう!」
焼野原から目の前の廃瓶で挑戦し始めたのが再生ガラス『琉球ガラス』 の始まりでした。
廃瓶を活用しガラスづくりを始めたのは良いものの、再生ガラスにはどうしても不純物が混ざる為、気泡が出来てしまいます。
気泡の入ってしまったガラスはどんなに丹精込めて作っても二級品と言われ、買い手がつきません。
のちに『現代の名工』と讃えられる歩夢さんの祖父、稲嶺盛吉さんも、多くのガラス職人と同じく、頭を悩ませていました。製品を認めてもらえない…売れない…副業をしないとご飯も食べられない……。ある日、盛吉さんは、ほとほと途方に暮れてしまいます。
そうして1日がすぎ、2日、3日目…と4日目を迎えた、ある日。「どうせ気泡を無くせないなら、それを風合いとして作品に活かそう!」突然閃いた逆転の発想!盛吉さんは、そこから気泡の研究に没頭し、たくさんの気泡の入った作品を次々と発表していきます。
一方で息子である盛一郎さんは「お前のお父さんはアホになったのか」と周囲から言われ、当時は本当に嫌だったそうです。
ところがある時、京都からバイヤーさんが盛吉さんの元を訪れ、「これは素晴らしい!京都でぜひ売らせてほしい!」と作品を絶賛。すぐに展示会が行われ、1週間でなんと500万円を売り上げました。この噂は沖縄中のガラス工房に一気に広がり、皆が気泡を活用した泡ガラスの製品づくりを始めることになりました。これは今から35年ほど前のお話なのだそうです。
その後も、イノベーターとしての盛吉さんの研究は止まりません。色を作るのに、米ぬかや備長炭、カレー粉など、周りにある様々なものを混ぜて実験していきます。
盛吉さん作のこのトックリの黒は「くら」という泡盛ボトルの廃瓶。白のドットは「コウイカ」の骨。
こちらも盛吉さん作。このお皿の白は、なんとマグロの骨です!盛吉さんは身の回りにあるものを利用して、どう変化するかを常に実験していたそう。
工房の中。ここで、ガラスの作り方を紹介していきます。まず、ガラスの原料の準備です。
水につけて、瓶のラベルを剥がします。すべて手作業。剥がしたら洗って乾かします。
空き瓶を土台として、この上からガシャンとさらに空き瓶を落とし、割っていきます。「どなたかストレスある方いませんかぁ?」の声がけがありました(笑)
荒く割ったら、次はハンマーで砕きます。今ではこの作業が面倒で、ガラスの原料となる砂(4000度で焼いて急激に冷やすとガラスに変化する砂)を購入する工房も多いそう。しかし稲嶺さんはどんなに面倒でも、廃瓶のぬくもりを大切にしたいとあくまでも廃瓶の活用というものにこだわり、瓶がある限りこれを続けていきたいとおっしゃっています。
細かく割ったら、高温にも耐えられる坩堝(るつぼ)に入れて熱し、溶かします。
溶かしたら「吹き竿」と呼ばれるストローのように中が空洞の棒にガラスを巻き付け、息を吹き込み形を作っていきます。これが「宙吹き(ちゅうふき)」と呼ばれる技法です。
風船のようにだんだん、大きくなります。
写真は、形を整え、模様をつけているところ。一人ではできない作業です。廃瓶の場合は通常よりも固まるスピードが速く、15秒以内で形成するというスピード命の仕事です。
火に入れ、形を整える事や、模様をつけることを繰り返します。
あっという間に、丸い玉がコップへ、コップからお皿へと形が変形していきました。稲嶺さんがマジシャンに思えてきます。形ができると、今度は一晩中、窯に入れてさらに焼き、そこではじめて出来上がるのだそう。
先程付けた模様が2色になり、形や色の変化を嬉しそうに見せて下さる盛一郎さん。ガラスが大好きなことが伝わってきます。
盛一郎さんが着想した「土」を使ったガラス作り。(左)沖縄与那原のクチャ(泥)と(右)赤土
歩夢さんの子ども時代、「野球のユニフォームの泥は洗濯してもなかなか落ちない」と奥様が洩らしたひと言から、アイディアが浮かんだそう。同時に盛吉さんも土で何かできないかと考えていたそうですが、「業者さんから『こういうのを作りたい』と言われることで新しく発想をして挑戦していけるから、要望をいただけるのが嬉しいんですよね」と語る盛一郎さんも、やはりお父さんの盛吉さん譲りで、研究熱心です。
クチャを付けて、火に入れる。次に赤土を付けて、火に入れる。
すると、このように、上がクチャ、下が赤土という素敵な模様が出来上がります。稲嶺盛一郎さんの代表作品のひとつ。
那覇国際通りで盛一郎さんの作品を販売しているお土産やさん(キッドハウス8号店)の方が「盛一郎さんの作品は、海や、土など、沖縄の風景を表現している作品が多いので、購入して下さったお客様が、帰宅されてからも沖縄を思い出し、また来てくれるのが嬉しくて、旅行に来る皆さんに買ってもらいたい」と話されていました。
盛吉さんの『語りたいけれど、もの言わないガラス、命を吹き込んで語ってみよう』という言葉が刻まれた石碑。「これがいつも親父が思っていたことだと思います」と盛一郎さん。
ガラスのお話をしている間中、常に楽しそう。
「飲食店さんやメーカーさんから廃瓶をもらうのが、一番うれしい!これがないと作品ができないから。『お金と瓶とどっちがいい?』と聞かれたら、お金をもらうより瓶をもらった方がうれしい!」と人懐っこい笑顔で話されていました。本当に好きなことを仕事にしていらっしゃいますね!
最後は、盛一郎さんが今日の日のために作って下さったカキ氷用のお皿で、お茶タイムです。
カキ氷は、北谷にある「かんなプラス」さんに特別出張いただきました。
カキ氷は左からパッションフルーツ、マンゴー。奥のドリンクは青がバタフライピー、赤がハイビスカス、黄色がレモネード。
ドラゴンフルーツ味。
こちらは紅イモ味です。
色とりどりの蜜を乗せたかきごおりを楽しみながら、琉球ガラスを引き立たせる、色味の美しさを確認し合います。華やかな色彩のものであっても、お互いを引き立たせる力がある琉球ガラスの魅力を再発見することができました。
皆さま、ありがとうございました。楽しんでいる人のそばにいると、こちらも楽しく、明るいガラスや食品を目の前にするとこちらも明るくなることを経験できた日でしたね。
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